中山道 美濃(岐阜)
今回は、落合宿・中津川宿・大井宿の3つの宿場町を紹介します。
落合宿 (おちあい)| 岐阜県中津川市
馬籠宿から4.5キロ 中津川宿へ3.9キロ 人口370人 家数75軒 本陣1 脇本陣1 旅籠14
今は長野県から岐阜県に変わった中山道馬籠宿から峠を下り、「これより北木曽路」「落合の石畳」を過ぎ、落合川に架かる「下桁橋」を渡ると、「落合宿高札場跡」に着く。
JR中津川駅からの路線バスの停留所があり、旧東山道の神坂峠へ向かう車道を渡ると、ここから落合宿だ。坂を上り、上町の常夜灯を過ぎると宿場らしい町並みになる。
落合宿には、古い建物が数軒と常夜灯があり、宿場の中央付近にある本陣には、門・建物・庭がすべて往時のまま残っているな。善昌寺前の小公園にトイレがあるので小休止。ここには下町の常夜灯があり、そのまま左へ進み中津川宿へと向かう。
・滝場の道標・馬頭観音
・上町常夜灯
・落合宿本陣
・下町角道標
中津川市内の中山道は、他の道と舗装が違うので非常にわかりやすくありがたい。
国道19号の陸橋を渡ると「落合五郎城跡」、今度は19号を地下道で渡り、坂を上ると棚田が広がる。与坂の集落を進むと、おしゃれなお茶屋があるが、ここが「与坂立場跡」。
「子野の一里塚」、「御岳覚明神社」、「神明神社」と歩いても退屈しない。やがて幾つもの石碑芭蕉がある小公園を過ぎると石畳となり、中津川宿へと入っていく。
中津川宿(なかつがわ)|岐阜県中津川市
落合宿から3.9キロ 大井宿まで9.9キロ 人口928人 家数228軒 本陣1 脇本陣1 旅籠29
奈良、平安の時代、東山道で東国へ向かうには標高約1600メートルの神坂峠を越えなければならなかった。
中津川は、神坂峠を控えた東山道の要衝にあり、江戸時代に整備された中山道でも、厳しい木曽路への玄関口(落合宿もあるが)としてにぎわった宿場だった。
東美濃地方随一の商業の町として栄え、「うだつ」の上がる街並みが現存し、江戸時代創業の和菓子店「すや」や「川上屋」の本店がそのまま営業している。また、幕末には桂小五郎の隠れ家や、薩長同盟の密談「中津川会議」が行われるなど時代のカギを握った宿場でもあった。
・中山道歴史資料館 HP
・茶屋坂の高札場・常夜灯
・うだつのある街並み
中津川宿を後に岐阜県恵那市の大井宿へと中山道を進む。
天空の城で有名な苗木城方面への道を分け「駒場村の高札場跡」や「上宿の一里塚」を過ぎると中津川インターに出るので、高速道路に沿って恵那方面へ進む。緩いカーブを作りながら続く、街道っぽい明るい田舎道を行くとやがて民家の横に「六地蔵」がある。
「将軍塚」「三ツ家の一里塚跡」「坂本立場跡」と昔の道筋をそのままたどっている。この近くにJR美乃坂本駅があり、付近にリニア新幹線の岐阜新駅ができる予定で「時速4キロの徒歩移動から時速400キロへと所要時間は100分の1になるのかな」なんて考えながら進む。
「尾張藩白木改め番所跡」、明治天皇が休憩した建物がそのまま残る「篠原家」、「鯉ケ平高札場跡」まさしく歴史の道だが、なにせ距離が長い。歌川広重が描いた「甚平坂」に休憩所とトイレがあるので小休止するとやがて大井宿へと入って行く。
大井宿(おおい)|岐阜県恵那市
中津川宿から9.9キロ 大久手宿へ13.7キロ 人口466人 家数110軒 本陣1 脇本陣1 旅籠41
大井宿は、火事などで昔の建物は本陣の門、庄屋、商家くらいしか残っていない。
横町、本町、竪町、茶屋町、橋場の5つの町からなり、6か所の桝形で区切られており、中山道の道幅や長さ、桝形はそのままである。
人口のわりに旅籠が41軒と多く、茶屋が8軒あったから当時の賑わいぶりがわかる。
・本陣門
・中山道広重美術館 HP
・中山道ひし屋資料館 HP
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