中山道塩尻宿を行く

長野県

下諏訪宿から11.4キロ 洗馬宿へ7.2キロ
人口794人 家数166軒 本陣1 脇本陣1 旅籠75

長野県下諏訪町にある中山道塩尻宿の歴史は古く、武田信玄の時代以前にさかのぼり、当時の宿は、今の古町辺りにあった。
中山道が制定された当初、牛首峠を越える小野街道が採用され、塩尻は通らなかったが、やがて塩尻経由に改められたのにともない宿を移して新しい塩尻宿がつくられた。
本陣の規模は中山道中最大で、宿内には高札場、松本藩の口留番所が置かれた。


また幕府の代官所塩尻陣屋が置かれた時期もあり、重要な場所であったことがうかがわれる。
今の塩尻宿は、火事によりほとんど昔の面影は残っていない。


・小野家
小野家は、塩尻宿の旧本陣の斜め向かいにあった旅籠で、「いてふや」と呼ばれていた。街道筋の民家は、間口の広さで税額が決まっていたので、隣家との間隔が狭く建てられており、火事が発生すればすぐに燃え広がったが、明治の大火でも大きな小野家は西隣りの武居家とともにかろうじて残った。*国重要文化財

・堀内家
堀内家は、江戸時代堀ノ内村の名主で、建物は文化年間に、下西条村から移築したものと伝えられている。
本棟造で切妻造妻入。板葺で勾配の緩い大屋根と2段重ねの破風、棟飾りの「雀おどり」、妻の壁部分の出格子窓など、この地方に多く残る建築様式だ。平出遺跡の近くに、こういった建築の家が何軒も残っている平出集落があり、ぜひ訪れてほしい。


・平出一里塚
平出の一里塚は、原形に近いものであり、塚が2基とも残されている。


・平出遺跡


本棟造りの民家

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